過去作品群

(一番下に90年の劇場版パト同人誌更新)
 
 
 
◎シガレットチョコ(83〜84年・MIC17・19・20号掲載)
 
 
 なんとか前のHPから再掲載。1983〜4年の大阪のM山学院高校(某私服男子高)時代の漫研会誌に連載してた作品です。
 「チョコ」と呼ばれる探偵(最右・上段最左)が難事件を解決しながら、その犯人を次々と殺してゆく探偵もの。チョコ自体は小5頃から書いていた鉛筆漫画のキャラなんですが、多分やっぱり「探偵物語」「夢幻紳士」の影響はあると思います。あと「ブラックエンジェルズ」の影響もあるかも。チョコは極端なリアリストで、推理能力と殺人(断罪)能力がある存在って事で書きました。
 下段左がチョコのパートナー「α−RABBIT」。所謂コンピューター少女で、CG少女と実体としてのアンドロイド(兎月静夜)の2つの姿を持ち、現状の情報収集や科学分析に使用される「組織」の作ったスーパーコンピューター。1話当時(83年。まだメガゾーンもなかった)はマイコンのCG少女が分析用のマイコンラビットを端末にしてただけだったのが、2話で身体を手に入れ、3話では修理マシン(最下段中)まで増設。当時はまだ「パソコン」という言葉が無く「マイコン」の時代でした。実はCG少女は14,5歳前後、アンドロイドは20歳前後、と設定年齢が違ってます(「コンピューター少女の成長」を見せたかった)。その「一人なんだけど、2つの姿を持つ」が結局、「モリガン」と「リリス」みたいな「元は一人なんだけど2人に分離した」キャラの設定に行ったらしいです(だから上は妄言で書いてるのでは無い。それ以前にラ▽シスに行ってるよねヤッパ)
 「BJ」の「U−17は知っていた」のイメージがあるかないかは今となってはわからないです。手塚氏ってやっぱすごいね・・・
 ・・・・・・まぁリリスのルックスは下段右の洋(よう)という女の子(サイドと呼ばれる諜報担当の一人)の方が近いようです;
・・・洋がプレゼントを渡そうとしている相手は「一人(ひとり)」というアフロパーマの性別不明(実は無性)のワイヤーロープを使うレザーフェチの暗殺者。あと画像には出てませんがチョコの住むマンションの管理人とその甥が出てきます。ヘンなキャラです。
 RABBITの名前はどうしても名前に「BIT」を入れたかったからで、ウサギと、Love−Bit・RAB(0)−Bit(1)のカケ言葉です(rub-bit=触感型コンピューターの意でもある)。で、当時から自分は「W3」(手塚氏の漫画)が大好きで、この名前にした時に「ボッコ」のようなキャラがいい、とは決めてました。殺伐とした話なので、コンピューターの中位夢があるのがいいだろ、と。マイコンマウスでは「ねずみ」になってしまうというのもあります。女ねずみ小僧は確かに好きなんですが。
 (補足。それ以前自分は鉛筆漫画でW3の星兄弟がネタと思われるキャラ(時変人という時間を管理する種族)を書いていて、気分的にはその中の2キャラからチョコというキャラもできてます。W3の真一の髪型そっくりだからチョコは。探偵でシンイチ・・・)
 たぶん先方作品のタイトルは自分の漫画の「チョコ」と「RABBIT」の合成語でこの漫画も当然参考にはなってます。「チョコとラビット。グリコのチョコBITZみたいやね。それで行こう!」そんな所では無いでしょうか。よく判りませんが。物語の「主人公パソコン」がいきなり「伝説のパソコン」になってしまうのは、そんなわけだったりするんじゃないかと思います。というか、先方が何かの漫画の後書きでシガレットチョコ食べてると思うぞ、随分前(学園探偵団後書きで各探偵を語るくだり))。 というか、「2●面相〜」もそうだし。確かに「セ●ムン」のタキシード仮面には2●面相の方が近い気もする。でも「チョコ」を見ていない限り、「月●うさぎ」ってキャラは生まれないよね、やっぱ。
 
 1話は純度100%の金の精製法に起因する重化学工業社長殺人事件の話。2話は身体を手に入れたRABBITが外を歩きまわって麻薬取引現場に出くわす話(学校の輪転機印刷での製本;)3話がバレンタインデーにチョコに青酸チョコ(大阪では当時リアリティのある話)が送られてくるが、実はそれはチョコと組織の抗争に巻き込まれて死んだ女(上段中央)のヒモ(上段右)の復讐だった・・・という話。主にここの絵は3話からのもので、絵柄は当時的には斬新だ、って程度です。
 ヒモの男が「秋葉」という名前なのは、当初RABBITをコンピューターウィルスで再起不能状態にさせるような事をするキャラとして設定していたからなのですが(というか、ハッキング)、それだとあんまりだし、ページが4P少なかったので、単なる粗暴な青酸毒物犯銃撃犯という事になったのでした。
 ただ、自分は手塚氏や石森氏、松本霊士氏のファンだったので、その辺りもあってかなりバランスで悩んでいたんだと思います。同人的には絵柄確立されてきてた感じでしたが・・・(そうなのか?) 今の自分が、チョコの顔のあごを丸めて書いた所で、某氏のパクリにしか一般人は見ないんだよね、結局は。当然、セ●ムンにも行ってると思います(う*ぎと、その子供版のち*うさ)。「プリティリトルラビット」なんてモロじゃん・・・その流れで某「ナ**ウ*ーカー」にも・・・とゆー(話したく無い)
 タイトルは1話が「密室殺人(爆殺)」、2話が「身体(ボディ)」、3話が「St.Valentine Day’s Shock!」ですが、なんか3話タイトルってゴスロリ漫画系のD’s Valentine 氏のペンネームに語調が似てるよなぁ、等と。D’sってDay’sなのかね・・・(?
 ・・・ゴシックって細密描写を必要とするし(自分は目が悪い)、何より自分はゴシックだと千乃ナイフ氏には絶対勝てないと思ってるので、どーも今は本気で描く気がしないのですが・・・。建築物抜きのゴシックって自分にはゴシックでは無いんですよ。テーマも見つけづらいし。好きな事は好きですがゴスロリ少女。恋月姫好きだし。未*蜂にトレカの企画送った位・・・(99年。ボツったが)

 1話・2話がB5原稿で各20p、3話がA4原稿で16pでした。

 追: ちなみに大阪当時自分が住んでたのはH方市でした。高校まで結構遠し・・・(汗

(この件で現在自分はS玉県常盤小で例の漫画家団体代表と同級だったと主張しているのですが、それは元々90年ごろの先方ファン&関係者に、当時の僕の「中学(O阪府H方三中)で同級生だった」という意見を否定されたためで(イベント時にかなり身体的に酷いことまでされた)、
 実際先方代表と小学から高校まで同級だったという元メンバーの人も、いまだに公式HPの日記で「その間同級生だった事は無い」(相手方は僕の本名を知っています)と言っているので(この主張は90年代の先方ファンや関係者の主張と変わらない)、それでそれより遡った常盤小で同級生だったという事しか考えられなくなったわけです。誰も中学同級だった、って意見を肯定してくれなかったし、「20面相」自体が小学4年生なので(常盤小には4年までいたから)。元々年間を通じて何度も会話したような相手ではなかったし、実際*鳥のモデルってどう考えても埼玉時代の同じアパートの同級生のK島くんの妹+3年同級のS鳥さんだしね。その頃の知人じゃなきゃ、考えられない。(もし自分が嘘をついてるなら、最初から大阪で同級生だったと言ってます。実際大阪に住んでたわけだし、実際どこぞの編集部の人には、代表の名は本名だと言われたし、中学の卒業アルバムにはその名は無かったので)
 三中では自分に対して長期かなりのいじめがあって、自分の記憶がそれ以外(現在それすらも)殆ど記憶に無いし。それに自分的には同級だったのが中学とは、まるでひきずってるようで、考えたくないです。
 (追:中学でなければ、86年の夏期松竹アニメシナリオ講座の受講生って可能性もあるんだけど(個人的過去話だの手袋の話だのしたのは後はその時だけだから)、自分がもらえている受講生みんなの1枚分の住所録の名には先方代表らしき女性名はありません。バ●ロン2巻の女の子のモデルらしき人の名前はあるのですが(それで先方=その子と勘違いした時期がある)。あの時僕が何かの理由で一枚しか住所録をもらえていなかった可能性もあり、残りの1枚に先方代表の本名が記載されていた可能性もあるけど、不明。他の受講メンバーなら住所録の残りの1枚を持ってるんだろうけど、不明って事にしときます。何故なら、もらえなかった2枚目があるとしてもそこに記載されてる人の名は多分2〜3名位であって、その人達が僕の名前の載ってる1枚目を持っていないという事は有り得ず、その2,3人の中に先方代表の本名があるとすれば、先方代表はやはり僕を意図的にスポイルしてきた(させた)という事になってしまうからです。)
 ネタに使われたどうこうってのは、元々K川ムックの「エ*ガイム1」が出る前から自分はK川書店等に作品送るなどしてたわけなので。先方がK川と仕事しだしたのはその後だから、結局僕の存在にいつ気づこうが「同じ事」なんだよね)


 あと、参考画像。 ていうか両親と口論になって破棄した際のMIC17号用PART1原稿(高1当時)。つなぐのは可能なんだけど; 母もよく捨てないでおいてくれたもんです。
 PART1の原稿が荒い最大の理由は線が細かいと輪転印刷機に乗らないからなんだけども。下手だってのは当然ですね。
 一応、PART1ではまだラビットの実体が「マイコンラビット」そのものでしかなかった事が判ります(某ちょ**ツにウサギキャラが登場するのはこれが理由だと思われる)。
 また、左は最終ページ、右は途中のページなんですが、そっちの欄外表記で既にシガレットチョコの略称が「C.C.」となっている事が判ります。(※何とか部誌でみたんですが、この部分は枠線のすぐ下にも関わらず部誌から輪転機の立ちきりで切れちゃってたようです。原稿の残骸整理して別のページで略号書いてる所探します。部に残ってる原稿コピーには記載残ってると思うんですが。)     (2006/10/28)

 あと、MIC18号の総扉のイラストと同誌の画像。元の原稿は86年にメチャクチャになってしまってたので、セロハン止めしてコピーしてそれをスキャンしてます。(大体B5原稿群は全滅状態だった。やっとこここまでつないだけど。画像
 まだMICは18号(高2文化祭時、18〜20は同時売りだった。無茶)なので、α-RABBITの身体はまだ出てきてなくて、その初期稿。初期稿にはソバカスありました。多分RABBITってキャラには、当時のうる星系キャラや漫研の先輩のキャラも入ってるような気がするんですが、今となっては一番近いイメージは、タカラリカちゃんフレンドの「へんしんパットちゃん」です。あれが一番近いような気がする。今ならああいうキャラで描きます。チョコも殺人はあんまりしないだろうし。
 で、多分この総扉の初稿RABBITがフリスビーやってるので、セ*ムンうさぎの初期技が「ムーンティアラアクション!」だったりするのかもしれないんですが、その辺は不明・・・って事にしときます。逆に途中から技変えしてもらえて良かった。当時は、この原稿見つかってなかったしかなり落ちこんでたのです。
 セ*ムンのキャラは別に嫌いじゃ無いし。おもちゃサイトの方でセ*ムン玩具のページ作るかもしれないしね。
 自分的にはチョコはかなり好きな作品とは言え、きっと色んなものに影響受けてる作品なので、短絡に何がチョコをパクった、と言う気は無いんだけど、あまりにあんまりなのは悔しいって気もしてたんだよね。要は自分が強くなればいいってだけなんですが。
 
 
 
 
大阪M山高漫画研究部会誌「MIC」17号(83年文化祭刊(笑;))
チョコの1話を乗せた号。表紙は後の部長のU田(か*でん)氏!絵が上手い好人物で、さすが!後に美大に入りました。他にも絵的には自分より上手い人たくさんいたよなー;自分は絵の下手さを実は、痛切に感じてました(^^) ただ2年先輩の「Aらき」氏は嫌なんですが、今・・・
大阪M山高漫画研究部会誌「MIC」20号(84年文化祭刊)
上記のチョコPART3を載せた号です。こちらはコピー誌。輪転機から開放されたので自分も絵が走ったのを記憶してます。それでも輪転機用矯正の跡が抜けないのが悲しすぎ。表紙はいわん氏。M山学院高校の文化祭は外部から女子も結構来てましたね当時。参考まで。
 
 


 
 
◎魔法 (85年2月 都立M高漫画研究会会誌「Illusion 4」掲載)
 高校2年の時に都立M高に編入して漫画研究会(こっちは会だった)に編入して以後の漫画。全部で7P。
 ぶっちゃけ千之ナ*フ氏や永*護氏や松*零士氏の影響受けてるなぁって気もしないではないけれど、当時は「レ*ンピープル」誌とか結構流行りではあったわけで、ページ数の少ない短編を書いてみようかなぁと思って書いた部分もあったのかもしれないです。サイレント漫画なんだけど、セリフが無いにしてもここまで無音に近くする必要は無かったかもとちょっと反省。
 自分にしては珍しい魔法系漫画。というか吸血的話。眠りについたままの女の子を目覚めさせるべく剣で傷つけた自らの血をかけていく、っていう描写もあったりするんだけど・・・多分TV版の「BLOOD+」の第1話の方に描写ニュアンスが転用されてます(これは間違いない。この作品はIGの89年の社員&バイト募集の時にコピー送ってるので)。実はそれが「BLOOD+」に自分が期待してた最大理由の一つだったりもしたんだけども。
 ああそれなのに・・・ああっリク君・・・(;;)  ←こればっか

 そういう儀式の進行の仕方自体は当時各漫画(ロリ系含む)でも無かったし、無かったから意識して描いたってのはありました。(多分映画「キャリー」の影響もあるとは思うのだが、あれは・・・ひど過ぎるので。・・・ていうかクレ*ジーピエロにもあった気がするけど、あれはあれでちょっときつい表現ではある)
 実は自己犠牲テーマ的エンディングの話だったりもします。定番って言えば定番なわけだが・・・

 結構緻密に書いたので1Pがめちゃ精緻なのに、どんどん疲れてしまったわけですが(まる1ケ月で描いた感じ)・・・こっちの漫画研究会は女子ばかりだったので、つられて絵柄が女性化したってのもあるかもしれないけど。でもまぁ「009」も少女コミック版が子供の頃から好きだったりしたし、各少女マンガも好きだったわけで、こういう自分の絵柄はやっぱ大事だとは思ってたりします。身体デッサンとかを気にしすぎる今は逆にこの絵で描くのって難しいと思うけど。 (2006_6_3)

 (追:)  ページのUP。高2にしては結構頑張ってます。( 
その1 ・ その2 )
 エロースな絵柄は掲載しません。まぁオチ的に言うと少女の腕がなおって、かたや少年は・・・って話なんだけど。
 腕にだっこされてるのに、首が1コマ目で起きているってのは(普通ありえない)、生きる意思の表現だったりするんですが、実はEg(現E9)のマンガでも再度使ってたりします。(画像
 高2当時なので、あいもかわらず色々と影響受けまくりの絵。2枚目(6ページ目)の横顔はデッサン狂ってるのではなくて、単に外人を意識しているので、鼻筋の起点が高くなってるだけです。
 でも漫画にするにあたってのデフォルメの仕方ってのを色々悩んでたのは変わりないです。演出だの技法的にはもう殆ど掴めてるわけですが・・・
 ていうかカケアミ系技法の練習画的作品とも言える。でも、実は自分の使う技法って(影を手書き斜線で表現するとか)、ミクロマン009の模写イラストの頃から好み&志向が決まってるんだよね・・・
 ただこの描法は精神力と集中力使うので、自分ってきっと漫画描きに向かないんだろうなぁ・・・とは以後思うようになっていったようです。

 (追:最終ページ原稿写真。最後に文章で'His arm is lost,and her arm is came back. It's his MAGIC.' という文を白抜きで入れる予定もあったのだが、
  結局白いロゴをどうするのかと思ってやめた。今にして思うと、女の子の為に腕を失う吸血少年という意味で、BL●●D+のハジ(しかも後に彼が手に入れてるのは「鬼の手」(ぬーべーか?)みたいだったりするわけだが)のキャラの骨子に引っ張られたらしい気がする、云々。
   かなり象徴的ラスト。アニメ系の進路を一時あきらめかけてた心境がモロに出てるとも言える。女の子のモデルは多分特定人物では無いです。少年は女の子のために腕を失うわけだが、女の子が全然理解してない所がリアリーだよねー・・・まぁ若気の間違い的自己犠牲価値観な話と思ってもらえればマル。今の僕にはこういう主義はないです。 2007/1/17)
 
 


 
 
◎B5サイズイラスト・設定原稿群 (85年4月位まで バ●ダイ「模型情報」コンテスト投稿分など)
 チョコの欄で書いた通り、高校卒業して浪人してた時に両親とケンカして(とっくに仲直りしてるので念の為)、破いててっきり捨てたと思っていた原稿群。母親が取っておいてくれてた物です。当時の「模型情報」誌への人材企画募集コンテスト(こういう募集。写真)に応募した原稿も含みます。実はチョコのB5原稿(パート1と2)も全部この状態(画像)だったので、随分前(99年頃)に見つかってはいたんだけど、つなぐのが大変なのでそのまま置いておいてました。思う所があって、やっとこつないでみたのが上の原稿です。思考錯誤の連続ではあるけど、自分的には当時結構気に入ってた絵ばかりでした。何はともあれFAMW−LCO・NBT(←略称。18m級巨大女性型クローン兵器。どこがメカなのか?)の最初の設定画(高2の桃高の文化祭に東京から無理して参加した時、部員やクラスのアニメ友達に渡したりした)まで出てきたのはびっくりした。
 描いてたの自体が大阪や東京の漫研のメンバーのいる所で、だったのでこれらの原稿描いてる所は当時のメンバーが知ってます。
 メカ系イラストが多いけど、キャライラストでも結構気に入ってるのが出てきたりして、嬉しかったです。(女狐イラスト(画像)。モロうる星のこぎつね等色々に影響受けたらしいキャラがいるのが時代時代♪)
 「模型情報」のコンテストに送った元原稿も同様ばらばら状態だったんですが、後にコピーはIGタ●ノコの社員バイト募集や美少女ソフト系の会社などにも送ったりしてきてるので、知ってる人も多いです。実は「模型〜」のコンテストに送った原稿は返却可とされていたのですが、コンテストの結果が発表されて(自分はボツだった)、それでもかなり長い間帰って来なくて。自分はコンテスト結果によって、高卒で親がアニメなりマンガの方向に進んでいいか決めるみたいに言われてたんで、落選になった故に即時そっちの進路はあきらめなくてはならなかったんだけど、全然原稿帰って来ないので実はかなり不安でした。電話をかけると「後に応募作を本にする可能性があるから良かった分は残しているんです」という。
 で、その募集の時の秀作を集めた「フレッシュブレイン」って冊子が後に同社から出たわけなんですが、それにも自分の送った原稿は載ってませんでした。
 で。結局帰ってきたのは・・・なんと翌86年2月の高校3年受験間際。受験の数日前、数学の補講受け終わった時で(なんでそんな時に原稿帰って来るのか?)、しかも封筒は無記名。完全に精神的に恐慌状態になって2日絶食。案の上、片っ端から大学落ちちゃったんだよね(;;) ←英語的には頑張ってた。早予のハギノ選抜単科受かったから。
 そんな苦い思い出もあるわけなんですが・・・・当時の模型情報には当時マニア系本の編集者として有名だった人や各ジャンルの業界人がそろっていたみたい。安井氏、後の自分の恩師のウルトラマン初代デザイナー成田氏の連載、FSS原作の永野氏、うる星やマミの脚本家の伊藤氏、奥さんの高田さん、ストリームベース小田氏、上げてくと切りがない。某A野監督もライダーコスプレで参加してたよね(85年10月号)。
 それとは別にこの後、この時の作品群はかなり色んな作品のネタに流用されていく(よく言えばオマージュネタ)事になったわけで(その理由がバ●ダイなのか、タ●ノコなのか、その他の美少女系ルート等からだったのかを自分が厳密に知る事はできない)、自分的に苦しむ原因にもなったりはしたわけなんだけども。実は2chでの集団叩きが煽られているの大元の理由はこれらのB5原稿群やA4サイズ原稿群に、あります。他にも原稿あるわけなんだけども・・・
 その辺で自分の心境を落ちつかせる事が出来なかったから、原稿画像をUPしてなかったわけなのです。Upさせるって事は多少なりと落ちついたから、というより、納得できる範囲と納得できない範囲を自分で分ける事ができたからなのですね。
 当時のB5イラスト群に関してはこちらでUp。 >B5原稿デザイン等ページ
 


 
 
◎集積高層街の恋人たち(+と−) (86年〜未完成原稿コピーは89年IG宛に発送)
 86年の秋位から構想しだしたオリジナルコミック。今で言うサイバーもの原稿です。当時ほぼデザインなども出来あがっていたのですが、8ページまでしかペン入れしていません。原稿を描き出したのはちゃんと87年に大学受かってからなのですが・・・。この作品に出てくる少年と少女(名前はありません)が、二人の同棲していた高層マンションを失い、そこからお互いの連絡が取れなくなったあげくに放浪の旅に出て、出会うまでというストーリーで、言ってしまえばSF版「君の名は」です。
 発案動機は、自分の母が僕が子供の頃から、「君の名は」が面白かったという話を僕に聞かせていたことと、86年の松竹アニメシナリオ講座に有楽町(つまり「君の名は」の始まりになった数奇屋橋)から歩いて行った事とか、本格的サイバーものがコミック作品であまり無いと思ったからです。
 で、この少年用にデザインした「ラップガード」という特殊戦闘服(対霊ガード服)のヘッドセットが、後のエ*ァのプ*グスーツに行ったと思われます(後述。画像はとりあえず
こっち参)。
 ページには出てないけど、少女の簡易ラップガードもデザイン済です。この2人の戦闘服デザインは、原田知世さんの作詞作曲した「逆光のなかで」という曲があって、その曲を知世さんのラジオかなんかで聞いた後で、録音テープ聞きながらだーっと描いたものです。フラッシュバックみたいなものですが。
 ブログにUPした後さんざ叩きに笑われたバイクは「サイバースパロウ」と言います。走り方としては多分結構トロン的です。
 キャラクターが特に三角っぽい顔をしているので、N氏のパクリとか三角とか言われてますが、実は目鼻口の配置は、当時のN氏のものでは無く、自分のオリジナルというか、どちらかというと成田美名子先生の「エイリアン通り」(まじで好きだった。高1の同級の友達にコミック薦められて全巻買いました。成田美名子さんが、成田亨氏の従兄弟の娘さんだと知ったのは氏の美術教室に通うようになった後です)の影響の方が強かったんじゃないかと思います。パッと見全然違うけど。
 後にN氏のキャラの顔や、むしろ某先方キャラ(鬱)の顔が、こういう方向に近づいてきたんじゃないかと思います。・・・が、どちらかというとファミコンゲームとかにならないかという意識があって、ライン引き易いように単純化を意識した(意識しただけ;)んじゃないかなと思います。
 自分がこの作品で熱中したのは戦闘服のデザインだけでは無く、都市デザイン。トロン的でもあるんだけど多少のリアリティーもある、闇の中に浮いた3D集積回路のような都市を描くのにやっきになってたと思います。一番左(1ページ目)のビルはブレードランナー的なアングルですが、実はブレードランナービデオジャケットのポリスビルのあのアングルは、フリッツラングの映画「メトロポリス」の高層ビルアングルが原典なわけで、それに習ってるわけです。あとはコマ割とかですね。

 何故最後まで描いていないかというと事情は結構複雑なのですが・・・最初同人誌で描こうと思っていたんだけれど、入学した大学の漫画研究部が、新入生は1回の掲載辺り8ページしか許されないという所で、それで全体の構成を8Pごとの4章分割にせざるを得なくなった。ところが5月ごろには1章分が殆ど出来てしまい、しかし部誌の出るのは多分年度の後半になり、その間一体何を・・・という状態になってしまったり、異常にトーンを使う事が判ったんだけど、お金が足らなくなってしまい、学校で嫌な事がありかなり鬱に陥ってしまった事や、色々な事があったからです。ひっちゃかめっちゃかでした。玩具店でバイトしてたのも当時ですが・・・お給金少なかった。やる事は多いのに時給450円だった;
 大学をやめる事は年度前半に決めたのですが、コミックを発表する場所は無くなるは、オフセットで出そうにもお金がない。しかし本にするにはページ数が足らず、この調子で孤独にページを書き連ねると何ケ月かかるかわからない・・・みたいな感じだったと思います。1章のみで描かなくなったのは、誰にも評価してもらえなかった、というのが大きかったのかもしれません。後にゲーム会社関係の人に見せたりもしたんですが、やっぱ理解してもらえなかったみたいです。この辺の原稿は成田先生夫妻にも最初の頃に見せてます。
 IGに送ったのは89年ですが、多分その頃にはパトレイバーの「方舟」のネタは決まっていたようです。ただ、このコミックも多少認めてはもらえたかもしれない・・・というの は、方舟内シーンで何度も「57」というエリア?ナンバーが出てくるのですが、僕のコミック1ページ目でも「CENTRE 572」というナンバーが出てきたりもするからです。あとで各ページUP予定。  (2007_3_31)




 
 
◎シャドームーン・デザイン (87年11月 週刊少年サ○デー編集部宛に投稿)
 87年秋に仮面ライダーBlackのTV版がオンエアされて、同時に少年サ○デーでコミック版が始まった頃に書いたもの。原稿が出てきてないので同人ページにあるシャドームーン本のページを写真UP。
 Blackにはかなりハマっていたわけですが、主人公Black=南光太郎の友人秋月信彦の改造体として、当初から登場が予定されていたゴルゴムの世紀王「シャドームーン」はデザイン等がまだ一切不明でした。で、当時にサ○デー誌気付で石ノ森先生宛に送ったペンラフ画がこれです。ていうか、かなり精神的に不安定な時期に送ったものだったんですが・・・その点は後悔しています。連載時期的には「ロンドン・切り裂きジャック」の頃です。
 多分実際のTVのシャドームーンに通じている所は、鼻のV字や、クラッシャーがBlackと違い、牙状である事、リベット状の部分(アポロガイストから来ているんだろうが、この絵では宝石であるつもりだった)や、太もものダーツ部、正面画に出ているなんだかわからない足首のモールド、等です。肩にはマシンガン等を武装させるのもいいかと思ってました。ていうかアタッシュケース持ってるってのは555に通じる部分があるね。
 TVのシャドームーンって最初デザイン画を見た時には??とも思ったんですが、TVに出てきた時にはあまりのカッコよさに大衝撃モード突入でした。さすがTVになった時に映えるデザインだなぁ・・・!!っていう。かなり大好きなわけで、シャドームーンのデザイン。寺杣氏の声もカッコよかったよねー・・・
 で。メカデザインとかは、当時の自分はかなりの絵柄レベルに達してたとは思うわけですが、実は実写ヒーローデザインのように現実の人が着るスーツのデザインというのは頭の中で殆ど想定していた事がなく、その辺がかなり記号化した絵になっていて、リアル感はまるで無いです。相当当時苦悩してたんだろうなぁ。
 でもこれは当時成田氏のBクラブ等の連載に出ていた(当時はまだ氏の所で絵を習うなんて思ってもみなかった)「抽象化」の論理を所謂俺ライダーデザインでテストしてみたかったからで。かなりいい線言ってると思ったんだけど。多分自分の頭ではこれをリアル絵にしても、このデザインの線自体は変わらなかったでしょう。ていうかBlackのデザイン自体が過去ライダーから見ると大ジャンプなわけで、それ以上のジャンプがシャドームーンで図られるとは思えなかったからなんだよね。それはスタッフだからこそ過去を振りきってジャンプしたものが認められるわけで、ただのファンがそういうジャンプしたデザインをやった所で「なんだそりゃ?」と失笑買う事は判ってるわけで。
 逆に「ああ、マンガ絵以外の頭身デッサンでは、僕は絵を殆ど描かなく(もう描けなく)なっちゃってたな」とショックだったのもこれを書いた頃です。後に成田氏の所で絵を習った大きな動機です。それでやめた後にまたアニメ設定的絵柄に戻ってるわけですが、そういう迂回をした経験は意味があったと・・・信じたいよねぇ(信じられないですかそうですか)。
 でもこのデザインに至るまでは相当顔を悩んだんだけどね → (ラフ過程
 どっかでショウリョウバッタ型ライダーバイクも見たかった気はするが → パドルホッパーペンラフ
 (後編の本では訂正してるわけだが、TVのシャドームーンは雨宮氏のデザインではないらしい。
  カーラとマーラでは雨宮氏が関わっていたと思えるので(ジバンのカーシャとマーシャがリファイン)、RXのデスガロン等と同じ雨宮デザインかと当時も思ったんだけど、違ったようです。ゴメン)
 多分「カブト」に登場する最新ライダー「ガタック」のマスクドフォームの目や、肩のバルカン砲はこれに近いなぁ、って印象ありますね。一応このラフデザインでのシャドームーンの目の突起は、両肩に連動している照準器のようなものだという設定だったんですが、ガタックマスクスドフォームの場合両脇のバルカンが各2門ずつなので、それらのガンサイトを兼ねるのかなぁ、とか思ったりもしています。
 ていうか、突起を2つずつにしたのは良いと思う(>ガタック)。1コだけだと真横の視界に障害になるし。いや書いてる当時も疑問だったんだよこれ。
 ガタックはマスクドフォーム、ライダーフォーム共にかなり優れたデザインになってると思うわけで・・・やっぱ明らかに進化してるよね、ライダーデザイン。
 そういうライダーをTVで見れておもちゃを買えるってのは、ああ、生きてみるもんだねぇ・・・とか思ったりもします(笑)  (2006_6/7)  
 
 



 
 
◎ オプティック・オグラ 88年コンテスト投稿デザイン

 88年(昭和63年)に眼鏡チェーン店のオプティック・オグラが一般やデザイナー志望の人々に対して募集した、メガネやサングラスのデザインコンテストへの作品です。
 当時大学中退したばっかりで、その後の方向性などまだ悩んでいた時期でもあったんですが、当時自分はまだメガネをかけていたのと(ていうか、今も視力は結構悪いですが、面倒くさいのでかけてません)、かけてたメガネがオプティック・オグラのメガネだったので、送ったものです。
 当時はDCブランド全盛だったので、それに対応した感じのデザインになってます。手元に残っていたのはモノクロコピー(画像)だけなのですが、シンプルなカラーなのでCGで色付け直してみました。
 左の作品は、下のE9(Eg)89年版と同じく、フランス革命200年が近いという事で、チタンシルバーとブルーとレッドのトリコロールカラーのデザインです。当然フレームはチタン。赤と青を入れ替えることでカラーバリエーションになるというもので、目じりの半球を中心に回転させてたたみます。デザインは・・・なんというか、目じりの部分が横から見た眼で、ジグザグラインが電光というかイナズマというか、視神経を表現したものです。まぁ、コンセプトとしては面白いと思います。
 右の作品は、完全に女性向けで、女性の唇の形と、リップスティックをデザインに取り入れたものです。ピンクはクリアピンクでもいいかなと思ってデザインしてました。ピアス穴を開けたくない女性用の眼鏡という感じです。
 若干キューブリック監督の「ロリータ」でヒロインがかけていたハート型サングラスのイメージも入っています。わかってもらえたかどうか。若干べっこうブチの昔の眼鏡もイメージしています。
 どちらもフレームは細いんですが、これは当時細いフレームが流行でメガネメーカーもそういうのしか作ってなかったから合わせました。
 コンテスト的には没だったのですが、自分的には気に入っているので、後にIGタツノコの社員募集に送ったり、ゲーム会社の社員募集に送ったりしたりしました。
 くちびるモチーフの眼鏡は、実際にその数年後、90年代になって何年かたってからオプティックオグラが高額ブランドフレームシリーズを作った時にデザインされ市販されています。また、「トライガン」の主人公、ヴァッシュ・ザ・スタンピードも、ジグザグフレームの眼鏡をかけていて、懐かしいなぁ、と思いながら見てました。片付けしてたらデザイン画出てきたので、更新。



 
 
◎ Eg’89年版 '89年1/7
(年賀状イラスト&ラフ。IGタツノコ&某美少女系ゲーム会社宛など投稿 )

 Egの最初のデザインは85年2月頃(11月頃?ページ作りました。コチラ参照)のB5サイズの原稿だった頃で、最初から「幼稚園にひょんな事から住み付くようになった宇宙ロボット(生命体)という設定自体は全く変わってなかったのですが、デザイン的にはその後延々と変化を繰り返しているオリキャラです。
 イラストは89年の、丁度昭和天皇が崩御された日とその前後に書かれたもので、桃高の漫研で一緒だった橋○(1妄田)君(後に学校の先生になったと聞きました)に送った年賀状(のお返事)に書いたものです。ラフが1/4,年賀状が1/7なので、もろにその時期(相手に届いたものには、だから消印ついてると思う)。僕の昭和最終デザインとも平成最初のデザインとも言えます。
 ただ、このEg(現E9)の場合設定自体が多少異なってて、神話世界の少年と少女が次元突破する時にこの姿になって戦っては元の神話世界に帰って来る、というそういう設定です。カラーコピーを取ってあったので、IGの社員バイト募集にその月中(閉めきりが1月末だった)に手渡しに行ったりしました(発送、じゃなくて手渡しです。どっちでも同じなんだけど、落ちたから)。
 身体がこのような細身だったり単純線なのは、ファミコンかスーファミ等のゲームキャラにならないかと思ってたから、当時流行りのシンプル系も目指した絵柄を書いてみたって事ですが、ディフォルメキャラではあっても、細いのはドット絵にはむかない、と当時プロの人にも言われました。
 こういうデザインの方法論は自分的に試行錯誤して、この時には相当シンプルになるよう意識していました。成田氏の言葉の影響も大きかったのですが・・・。で、このデザインの首から下が後にエ*ァにひっぱられたわけです。このまんまだと判らないんだけど、白黒だとわかりいいと思う(画像)。レオタード的ボディの胸の部分が、白黒コピーでシルエット化するともろプラグ〜のそれになります。(肩のラインとか脇のラインとか特に。このデザインの場合別パーツなのは脇じゃなくて股間だけど。首から上は「集積高層街の恋人たち」という原稿のラップガードという別デザインからひっぱられている。そっちはこの89年1月に桃高の部長宛の年賀状に描いて送りました。IG等にも当時コピー渡してます)
 ・・・額に赤い球があるのが、使徒的とも言えると思う。要はリアルプロポーションで書いてみれば判り良いと思います。
 経過は色々あるのかもしれないけど、結果が似ちゃっちゃーだよね。現在でもかなりこの件は悩み中。
 後に「恐○惑星」って作品で恐竜人の顔にもなってしまって。でもあれは目まで書かれてたので、もろ石森氏のカゲ○ターみたいだったけど(笑;)
 当時的には成田亨先生の美術教室に入る時に自分の書いたものって事で見せたんですが、先生と奥さんに言わせれば「漫画としてはよく書いてるし頑張ってると思うが、絵的にはまだまだだ」って事でした。「線じゃなく面や立体で考えろ」と。それこそ自分的には習いたかった事だった。
 ちなみに成田氏が後の個展で書いたオリジナルヒーローの「天空人E」というのは、アルカイックスマイルにこの89年版E9(後のE9等)と同じような「ラインが流れる形の目をしています(逆三角形ではないが)。「天空人」シリーズのデザイン自体、確かサ*ライズの依頼で書かれたものだったと聞いたんだけど(違ったっけ?)
先生は「天空人」を生徒に今の氏が考えるヒーローデザインとして(せめてその時できるファンサービスとして)提示していたんだと思います。張り出した側頭部や身体のラインもめっちゃカッコ良かった。
 手伝い参加した個展の時に見せてもらって「カッコいい(;▽;)!!」という気持ちを伝える事が出来たので、それは本当に、幸せでした。

(イラストクリックすると拡大表示されます)

 







 


 
 
◎成田亨先生の所で描いた習作群(89〜91?)
初代ウルトラQ・マン・セブンシリーズのデザイナー、成田亨氏の所で絵を教えてもらってた頃の物。最左が「貝殻とレモン」。氏の所で絵を習った最初の作品で、自分の座っているポジションからだと想像もつかないダイナミックな貝殻(笑)なのですが、実際に正面からはこんな感じです。この静物画は生徒全員描いていたと思います。全部パステル画。
 中央と右は「大江山の鬼」の彫刻の製作時(終わり頃?)原型製作用に立てていたプレハブを、他の目的にも使わないともったいないという事で、某美大のモデルさんを呼んで絵を描いたり彫刻を作ったりした時の物です。・・・まだ下手だったので作品自体は気に入ってません。修正がかなり必要と思います。この人は先生の「ポニーテールの女」という作品のモデルさんでもあります。実際好きなタイプの人だったけども。クロッキーは彫刻用の物で、早く描くことを要求されたので、下あごのラインなど気に入ってませんが、これはこれで取っておいてます。というかかなり下手。

 最右が教室でラスト30分に行っていた授業のテキストや個展パンフ等です。色彩論・構図・芸術論・西洋のモンスター・仏教芸術・特撮美術等々ですが、特撮美術講義は主に口述筆記が多かったのでそれはそれで別に手帳にノートしてました。仏教芸術講義は先生もかなりだれていた;鬼製作と重なってたので先生的にもそれどこじゃなかったらしい・・・

 他にもありますが、教室に置いてきたのもあります(モリエール・ブルータスやミロのビーナスのお面、円盤投げ像のトルソーのデッサンなど)。
 後、月謝袋。うそつき呼ばわりされるので・・・

 後に大江山の鬼の彫像の手伝いをしたりもしたのですが、その時先生は「うちは借家だから住み込みの徒弟制度のような事はできないのだけれど、これだけ君たちは美術や彫刻の製作法等学んだのだから自分は成田亨の直弟子だと名乗ってもいい、ただその後は自分次第なので、そこまでは私も面倒は見れない(笑)」と、鬼の手伝いをした数人の美術教室生は言われてました。他に弟子がいないからおまえたちが弟子だ、という形かもしれません。その点のみ「眞実」(成田亨遺稿集)の編者は違う事書いてるかなぁという部分はありますが(あれだと結局弟子だと名乗った全員が嘘つきになっちゃうしね)・・・それだけ「大江山の鬼」の仕事が先生にとっては大事だったという現れかもしれません。教室に入ったいきさつはこちらの各項を参照
(2016_2/8 18:14 画像にメルアド入れました。)


(追:)  成田美術教室をやめたきっかけを以下書きます。(2chで偽弟子呼ばわりされたので書きますが・・・)
  成田美術教室には日野教室と渋谷教室があったのですが、僕は日野教室でした。
元々教室が始まったのは日野、渋谷の方が後で、日野は先生と最初に知り合ったリーダー格の人(今の回顧展スタッフ)とその友人たちの勉強会的教室で、渋谷は都内在住の人向けで、も少し真剣な人たちがそろってました。受講費は日野が月5千円、渋谷が月1万円でした。約2年ちょうど位習っていました。
  自分は模型情報の成田氏の連載の初期からの読者で、大江山の鬼の彫刻では多分日野での彫塑用粘土原型>石膏型>FRPの作業では一番参加日数が多かったです。多分朝から夕方5時半の終了まで、最低週2回で、合計35〜45日位参加していたんじゃないかと思います。先生の所のシフト表に記録残ってると思います。(酒呑童子のみ。茨木と星熊の両童子にはどの生徒も一切参加していません)その作業で最も参加した3〜4人は、先生から「成田亨の弟子と名乗ってもいい、その先の事は君立ちしだいだが」と言われていました。本当に嬉しかった事を覚えています。T笠氏やI田氏、それに僕です(これはB5原稿ページのようなイラスト群を先生が見て、それなり自分が頑張ってた事を知ってたって事もあったからだと思います)。日野教室の人達の半分は殆ど仕事を持っていたので、段取り作業には参加していますが、中途の作業はあまり参加していません。材料調達のみだった人もいます。先輩たちは骨格等の組み立てなどには精力的に参加していました。(その頃の件はこちらのルナティックの項を参照)
  その作業の最後が無理な夜間のFRPパーツ(PP?グラスファイバーの布やタルク剤使ってましたが)組みたてで、僕は真っ暗で懐中電灯の数も限られる中、上にまだずれの残るパーツを置いて、FRPにひたしたファイバー布片での接続作業を行ったため、どうしてもくっつく前にフチがめくれてしまったり荒れた所が出てきてしまいました。先輩たちはその日がFRP接続はじめてだったので、そちらを考えると、ひっくり返すわけにいかなかったのです。
   しかし、京都の偉い人に見せる事がすぐ1〜2日後に近づいていたため、出発時刻も翌朝6時半と決まっていたためとりあえずでも接続せざるを得ず、結果先生とT笠I田くんの二人が、現地でそこを修正するはめになり、先生に自分は怒られました。自分は元々京都に行って寝泊まりする事ができなかったので、
   その後、先輩たちは、1週間休みをとって京都のブロンズ製作の手伝いをしたのですが、その中で(医療系ソフトのプログラムをやっていたが原型等作業に一切携わっていなかった)某先輩たちが、目録に名前を記す際、わざと日野教室で最多手伝いの僕の名を外しました。
   京都に行けないからこそ多く手伝ったのに「京都にこないのが悪い」と言われました。
   T笠くんとI田君(この人はプロの仕事もやっていた。後に二人はワ●フェスの鬼工人ブースの造型者になりました)は京都でもほぼ最後まで手伝っていたのですが、彼らは渋谷のS藤君や、S田君たちの名を書いたのに、日野教室の生徒たちは僕の名を書かなかったのです。僕の努力は日野教室の他の人達のものにされました。
   弟子と名乗っていいといわれたT笠君やI田君も、僕に「この事を渋谷教室の仲間たちには言わないで欲しい。君への日野の人たちの仕打ちを考えると、到底僕らは弟子を名乗れない。あと、来たくても来れなかった人もいるわけだから」と言いました。渋谷教室のヒエラルキーは、日野よりも激しかったそうです。彼らの大方は新しいものを認めません。成田作品こそ絶対なのです。それでも後にワンフェスで鬼スタッフのチーム名「鬼工人」を背負ってブースを出してた彼らを、本当に頑張ってるなぁ認められたんだなぁ、と自分は思いました。ですから渋谷の人たちは、彼ら(と僕)が成田氏に弟子と名乗っていいと言われたことも知らないのです。
   その後もそういう軋轢は微妙にあった気もします。先生からは名前をその後入れたといわれた気もしますが、やっぱり入っていなかったという話も別の人から聞きました。自分は京都に現物をまだ見に行った事がないので確認ができないままです。
   現在2chで偽弟子攻撃されている理由はそこです。先生の著作の「眞実」に彼には弟子はいなかった、と書かれている事と、2ch住人の主張する、目録に名前が無い事(どうも結局そうだったらしい)が、僕への偽弟子呼ばわり攻撃と非難の的になっています。もし目録に僕の名が書かれているのにそう書かれたなら、僕の名前がないと2chに書いた人間は、そのはぶりの件を既に知っている人物だ、という事になります。

   その件で、僕への仕打ちを見ていた、僕の1週遅れで入った青年(この青年は僕の例の脚本も読んでたので僕が頑張っていたのを知っていた。このままでいいのだろうかと何度も相談を受けました)は、努力をしても認められない教室の序列性(元々成田教室は日野から始まっているので文句を言えない。先生からは渋谷に来るかという話もあったのですが、日野教室に自転車で行ける距離に住んでいるのに、渋谷に行くのも変だというのがあったので、僕は日野に通い続けていた)と今後に疑問を抱き、その結果退室しました。僕は彼を引き止められませんでした。彼だけではなく、目録に名前を書いてもらえなかったショックは自分も本当に大きかったです。他の日野の手伝いの人の合計参加日数の2倍がんばってたわけですから。自分の努力には何の意味もないんだな、と思い、努力と芸術性とは関係ない、とも思いました。教訓です。
   90年の10月には自分の祖母の病気がわかり、翌年の母の誕生日になくなりました。祖母の記憶に残る僕の努力が加わった作品は、もっと優しいものであるべきだったとも思います。某ソフトハウスでのCGのバイトをはじめたのは49日が過ぎた後です。
   (なぜそっち方面に行ってメカデザインとかの方向に戻らなかったのかというと、当時サ*ライズとの企画で先生が「天空人」というアニメヒーローものを作ろうとしていたのだが(90年の個展でデザイン画が展示されてました)、結局それは現実化せず、先生ですら企画を現実化できないんだったら、僕もやめておこう、って気分になったからです。自信をもてれば良かったんだけど、それらが原因で無理だった)
   その時に、先生がヌードデッサンをしたいのだが、参加しないかと言って来ました。自分も参加はしたかったのですが、僕に輪をかけてしゃべる人が新人に入ってきたのと、日野の人たちのやる気があまりなさそうだったために、参加人数が先生と僕も含めて4〜5人になってしまいそうだと言われました。モデル料は1日約2万円4人で割って、それを4倍して月2万+月謝5千円。しかしまだ脱落者が出るかもしれない、あの新人も参加するかもしれないという事も言われました。「今は仕事をやってみたい」と言って、僕は教室をやめました。考え方でいうなら、渋谷に転校(?)するやり方を取れば、僕の負担は人数分割分少なくなった可能性もあるのですが(渋谷の生徒は約20人位なので)・・・。しかし、先生は僕に対して「破門」を口にした事はなかったです。教室内では判りませんが。だって、その時には日野教室の半分は、ヌードデッサンに参加しなかったわけですから。「やる気がない」のレベルで言えば、みんな同じだったことになります。先生も彼らが休むのを引きとめる気が無かったようです。
  (もう少し精密に書くと、自分には入室してすぐコクロウというあだ名が先生につけられました。これは丁度その頃アナウンサーの森本毅○氏がスキャンダルを起こした時に、タケロウとぱっと読めなかった事によるのですが、それ以来スケベのコクロウって呼び名になってしまった。で、鬼を作っている間も教室中も延々とそういう扱いで、それはカオス的鬼を製作するテンションを上げるためと割りきるし(先生はプレハブを鬼の棲み家に見立てて作品を作っていた)、やっぱ自分のそういう面を直視しようとは思ったんだけど(バイトもそういうバイト)、着衣モデルの方や上の彫刻のモデルさんの前でも前例としてそういう呼び方をされてたわけで、モデルさんがやっぱそういう目でこっちを見てしまい緊張するし、どうにも冷たい目で見られてしまう。次のヌードモデルの人にまでそういう目で見られるとまともに絵を描けるんだろうか?とか、色々あったわけです。先生のせいだけではないのですが。はっきり嫌だとは言えないままだったので)
   その後はひっちゃかめっちゃかでしたが・・・数年後電車内で先生と話をした時、新宿駅についた後で尻を叩かれて送られた事を思い出します。CoolToysの連載での、読者からのおたより特集の号を見た時、自分の手紙が掲載されているものを見て、自分はわかってもらえたんだ、とばかり思っていました。
   でも、2chの連中は、僕は先生に昔から嫌われていたんだ、と言っています。
   もしかしたらそうかもしれない、と思える事も、確かにあります。以後、先生や、過去の美術教室の方々への応援は、一切差し控えたいと思います。 (とりあえず・・・・・・ 2007/4/8) 





 
 
◎ 劇場版パトレイバー系写真同人誌『Still;』 90年
( 同人誌。コピー製本。コミケにて販売 300円)

 ・・・ここがLycos、Tripod,Angelfireによってウィルスゲートにされてしまってるので、メインサイトのMO-Cute(http://www.geocities.jp/lecto_000/)の方でも後ほど紹介しますが、
 90年のコミケで販売した劇場版パトレイバー同人誌です。
 単独参加としてはこれが僕のコミケ初参加でした。僕の個人サークル初参加は写真本だったわけです。イラストはあまり載ってません。無くはないですが十数枚前後のカットのみです。
 ページ解説も後にMO-Cute内でしますが、内容は「パトレイバー東京写真集」以外にも某ロード的しゅみのパト辞典(を一人で作ってる)や、色々です。

 劇場版パトレイバーで舞台になった町及び、警視庁特車2課のある(と設定されている城南島)に写真撮影しに行って作った本で、
 とにかく本文より写真撮影に時間がかかってしまった本です。コピーは何と秋葉原近辺で当時の父の会社でしました。どっひゃあ。
 パトレイバーの特車2課は大田区城南島にあるという設定で、自分は子供の頃から大田区に親戚がいて縁があったので、それで結構はまったような所があり、
 それでこの写真同人誌ではあえてパトレイバーの方法論に乗った写真撮影で作っています。
 フィルムは普通にネオパンSS使用してます。ただ、そのままコピーでは、当時のコピー機ではグレー階調がつぶれてしまうので、確か赤ブーブーさんでモノクロ写真を網焼きしてもらい、それを原稿に使ってます。
 ちなみに中には当時自分が自作していたフルスクラッチの零式AV(AV X-0)も1ページのみ掲載しています。
 この零式は表面処理にまで到ってない状態ですが、とにかく鼻を意識したフェイスとシルエットにこだわって、
 なんとなく旧日本軍の零式艦上戦闘機が想像できるフォルムにしてみました。
 自分はこの零式以上のフォルムの立体の零式はいまだ見た事ないと思ってます。
 どちらかというと、出渕氏の画稿というより、映画のフォルムに近いですが、結局自分のオリメカ的なフォルムも入ってきていて、
 このフォルムはこれ以降の自分のオリジナルメカをデザインする時に意識し続けています。
 5枚の零式の写真も・・・当時自分はミノルタのα-7000を使っていて、そのズームレンズを使って撮影しました。都内写真も全部基本的にα-7000です。
 「Still;」というタイトルは、「未だ」という意味で、つまり将来消えていく風景は未だ東京にある、位の意味です。あとはスチール写真との掛詞ですね。
 当時自分はX68000(EXPERT)を入手したばかりで、実はCG合成記事なども考えていたのですが、
 ぺけろっぱーが512X512という変則的な大きなドットの画面しかいまだ使えず、到底自分が目標とする画像をスキャンや描画機能を使っても使えない事が解り、
結局まともにCG機能を使って描画出来たのは表紙のHOS起動画面と、本文の辞書部分くらいのもの・・・でした。
 零式はこの後にコミケ参加が受かれば完成→複製するつもりだったのですが(画像の零式も耳と両腕は左右FRP用樹脂で複製している)、
 主催の念書的申し込み書、主に威圧的内容の申し込み書(当時のコミケの定款住所だか申し込み住所にヤ●ザがいるから来るななど書かれていてその事かもしれないが(それはもっと後か?)、結構コミケ準備会の悪質性にとって痛い事を書いたんだと思う)への不満など書いてしまったからか、次の回のコミケは受かる事は無く、(この同人誌がパトレイバーという警察を扱ったリアルな写真本だったからかもしれない、ていうかモロに写真畑の本だったからかもしれませんが)
 実際その後僕がコミケのサークル抽選に通る事はなく、なので僕のコミケでの同人参加は、90年代後半からのコミケの委託スペースのみです。
 コミケ当日、この本は一応55冊売れたんだけどねー・・・初参加コミケで写真同人誌55冊販売って、多いんだろうか、少ないんだろうか??? 全部数は100冊前後だったです。あとはMO−Cuteサイトにて。 (2014_12/17 18:09-19:23)
(写真をクリックすると拡大表示されます)

 







 
 
 
随時upしていきます。 
 
 
 

 
 
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